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2009年2月

2009年2月27日 (金)

なんの葉っぱでしょう?

玄関に置いてある観葉植物の鉢に、1年前ぐらいから、名前の分からない植物が生えています。

Dscf0305

最初は、引っこ抜こうとおもったんですが、夜みたら、葉っぱをたたんでいて、その姿を見た瞬間、「こいつ、生きているんだ・・・」と思いました。そうしたら、なんか健気に生きている感じがして、抜けなくなっちゃった・・・。

それ以来、妙に愛おしさを感じてしまって、そのままにしています。

朝、家を出るときは葉っぱを広げていて、夜、家に帰るとたたんでいます。その変わらぬ姿を見て、何故かホッとするんです。人間、こんなものにも癒されるんですねぇ。

手前に、仲間が生えてきました。

しかし、なんて言う名前の葉っぱなんでしょうね。

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2009年2月23日 (月)

JBC月例

昨日はサンボウルでJBC月例会でした。

テーマは、「リリース時の左手」「スペアボールと仲良くなる(笑)」でした。結果は、前半の3Gは、201, 141(!), 232の574 (Ave.191)、後半の3Gは、188, 168, 238の594 (Ave.198)でした。合計1168 (Ave.194)。まぁまぁと言えばそうですが・・・浮き沈みが激しいのは僕らしいかも?

両方とも2G目で凹みます。クリスタルパールピンク(スペアボール)とは、最初(特に前半の2G目)は仲良くするのが大変でしたが(笑)、今までのイメージより2枚内に投げることで、すっかりお友達になりました!

リリース時の左手は、どうしても忘れがち(だらんと垂れてしまう状態)になりますが、前後半とも、3G目はしっかり意識して投げた(つもり)ので、まぁ良かったかな。それと、ボールを構えるときに、しっかりと手のひらに収めることを忘れた時は、トップ位置で親指が既に抜けかかってしまう悪い癖があるので、気をつけなきゃ。 これ、意外な盲点なんです。

賞品は・・・来てしまった、昆布飴が・・・。

子供の時、親に昆布飴を食べさせられ、余りの不味さ(子供には無理だ・・・)に泣いた記憶があって、どうしてもそれがトラウマ。でも折角頂いたので、頑張って食べて見ようかな・・・。

今日も一日いい日でありますように。

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2009年2月19日 (木)

お気に入りの曲(その3)

引き続き、お気に入りの曲紹介。

Kenny Logginsの「Heart To Heart」。1983年の曲です。26年も前の曲なんだぁ。確か、当時、深夜の洋楽ビデオクリップ番組(ベストヒットUSAでも無かったし、MTV放送していた記憶もない・・・)で見て、一発で好きになった曲です。中学生の癖に深夜番組で洋楽を聴いていたんだ・・・

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Darlin'
Tell the truth
Don't turn away
This is our last chance
To touch each others hearts

ダーリン、本当の事を言って欲しい
顔をそむけないで
お互いの心に触れるには
これが僕たちの最後のチャンスなんだよ

Does anything last forever?
I don't know
Maybe we're near the end
Darlin' oh how can we go on together
Now that we've grown apart
Well the only way to start
Is heart to heart

永遠に続くものがあるかどうかなんて
僕には分からない
僕たちは別れを目前にしているんだろうか?
ダーリン二人の心が離ればなれになってしまった今
どうやって一緒にやっていけるんだろう?
もう一度やり直すには
正直に心を打ち明けることなんだ

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何が凄いかって、Kenny Loggins, Micheal McDonald, David Fosterという黄金のAORトリオが参加した曲で、David Sanbornも参加している、何とも豪華なメンバー。今やこういうAORな曲って、なかなか無いですよねぇ。

この曲を知っている人は案外少ないかもね。僕は大好きな曲なので、多分爺さんになっても聞いていると思う(笑)

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2009年2月18日 (水)

ボールの寿命が来た?

昨日のサンボウルWリーグで、使い古したInfinite Oneを使いました。先週、風呂でオイル二度抜きをして、それなりに表面も「キュッキュ」になったんですが、ゲーム終了後に、もう表面べっとりの感じ。

・・・なんか、オイルを吸っても直ぐに吐いちゃう感じ。

多分、300G近くは投げていて、表面も2度加工し、今はポリッシュしてます。もうそろそろ寿命でしょうか。(とっくに寿命かも。)

オイル抜きも、ぬるま湯に浸ける方法で、多分10回ぐらいはしたかなぁ。

遅めや奥で切れるレンコンではまだまだ使えそうな感じもしますが、クリーナーで拭いても、なんか「キュッキュ」感が戻らないし、かといって、なんかお払い箱にするには勿体無いし。

いいボールなんだけどなぁ。どうしようか。

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スペアボールを新調しました。ABSのクリスタルパール(ピンク)です。可愛い。

今までのボールは後輩にあげます。昨年、うちのボウリング部に新入社員が入部したので、ボールやら靴やらバックやらをあげてます。ボールはどうしても余ってしまうので・・・でも最近の後輩は、最初からいいボールをもらえて幸せですなぁ。

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2009年2月16日 (月)

スノードロップ

スノードロップ(ガランツス・エルウィジー)を沢山買いました。

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以前、庭に咲いていましたが、庭の大改造をした時に、無くなってしまいました。昨年秋に、球根を買って植えようと思っていたのですが、すっかり忘れてしまったので、どうせ買うなら、花が咲き始めてから・・・と思い、昨日買いました。

・・・スノードロップは、いい花言葉ですしね。

この花が咲き終わる頃には、今度は庭にスノーフレークが咲くでしょう。スノーフレークの花言葉もいいですね。純潔・汚れなき心・・・

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TDR25周年記念のDisney's Dream POPのCDを買いました。日本人アーティストがディスニーの曲をカバーしたものです。(1月28日発売)

mihimaru GT(実は結構好きだったりする)がカバーした1曲目のUnder the seaは楽しい感じでいいです!でも、4曲目の「美女と野獣」、5曲目の「夢はひそかに」、7曲目の「Whole New World」は、やっぱいいなぁ。驚きは、11曲目の「小さな世界」で、倖田来未&Heartsdalesが歌っています。この曲がこんなPOPな雰囲気に!?て感じ。

TDRにまた行きたくなった・・・。

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2009年2月14日 (土)

お気に入りの曲(その2)

最近、昔よく聞いていた曲をネットでダウンロードしてます。

以前、Somewhere Out Thereという曲のことをブログに書きましたが、ほかにも、昔の曲で心を奪われた曲に、Duran Duranの「Ordinary World」があります。懐かしい曲です。確か93年に全米1位になったはず。

What has happened to it all?
Crazy, some'd say,
Where is the life that I recognize?
Gone away...

いったいどうしちゃったんだ?
どうかしてる、って言う人もいる
僕が生活と思っていたことは何処にいってしまったの?
消えてしまったんだ・・・

But I won't cry for yesterday, theres an ordinary world,
Somehow I have to find.
And as I try to make my way, to the ordinary world...
I will learn to survive.

でも、昨日を思って泣いたりはしない
どうにかして見つけなきゃいけない”ありきたりの世界”があるんだ
その”ありきたりの世界”に辿り着こうとしながら
僕は何とか乗り越える方法が分かってくるんだ

Every world, is my world... (I will learn to survive)
Any world, is my world ... (I will learn to survive)

あらゆる世界が、僕の世界(乗り越える方法が分かってくるんだ)
どんな世界も、僕の世界(乗り越える方法が分かってくるんだ)

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日本語訳は適当です(汗)
(注:この歌詞でのLifeって、「生活」なのか「人生」なのか、どっちか分からない)

歌詞の作者の意図とか知りませんが、一般的にこれは失恋の歌と思われているのかな。もしあの時君に会わなかったら、こんな苦しみは感じなかっただろうって。でも、この歌詞って、色々な捉え方が出来るように思う。人間、過去を思って胸が痛むことってあるよね。もしあの時こうしていたら・・・とか。

それまでの自分の生活とか人生と違ってしまった世界・・・それまでが当たり前というか、ありきたりに思っていた世界が、今は違ってしまった・・・元に戻りたいけど、もう戻るすべが見つからないかも知れない。でもそれを探さなきゃ、乗り越えられない。

でも、何がどうであれ、どんな世界も、自分がいる限り、自分の世界。そこで、苦しみや悲しみを乗り越える方法を見つけることができると信じて・・・以前の普通の世界に戻れると信じている。

こういう歌詞は、なかなか上手に書けないなぁ。

歌詞の意味はともかく、曲としても素晴らしい(特にギターリフ最高)ので、意味なんか考えなくても十分感動出来る曲だと思いますよ。このブログを見た同年代の方々、懐かしいでしょ?

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2009年2月13日 (金)

なんか体調が悪い

今日は、朝ひどい頭痛で、会社を午前半休してしまいました。気持ち悪くなるぐらい痛かった。夕方になってようやく治まりましたが。

僕は、慢性的な耳鳴りなのもあって、頭痛を抱えるととても辛い状態になります。耳鳴りはいつからか忘れるぐらい、ずっと続いています。常に秋の夜長の虫の声みたいに、何かが耳の中で鳴いています。結構大きな音で。一度治療した方がいいのかなぁ。

なんか、イマイチ体調がすぐれません。

それに、ひょんな事で、うつ病の自己診断をしたら、なんと「重症、直ぐに治療必要の可能性が高い」と出てしまった!うそっ!?

でも、別に会社には行けてるし、生活する上で何か支障も無い状態だから、問題無いと思うけど・・・・うつ状態ということなのかしらん?最近、悪い方に物事を考える癖があるからなぁ。

30代までは、そんな風には考えなかったんだけど、何でだろうね?人からはよく、「なんでそんなにポジティブ思考なの?」って言われたんだけど。口癖だったのは、「まぁ最後には何とかなるし」「どんな状況でも楽しみはあるもの」だったけど。最近は、「まぁ最後には何かがなんとかしてくれるかな」ですけど。年齢から来るものはあるかもね。

全ては神様の思し召し。自分の辛さも他人の辛さも受け止めて、真摯に向き合うことさえ忘れなければ、後は良いようになるさ。ならなくても、それもまた神様の思し召し。神様は、今、僕に何かを与えてくれようとしているのかな?

そう思うようになってきたので、気持ちは少し楽になれるけど。人間が生きていく上で、信仰心というのは必要なんだって、最近思うようになってきた。信仰心って、多分人間の自然な感情なのかもしれませんね。とか言いながら、お寺に入門するつもりも、洗礼を受けるつもりも全く有りませんが(笑)

・・・しかし、うつ病ってものを、もっと勉強しようかな。会社でも結構見かけるし。それに、僕は、なりやすい人の典型例って、全部当てはまったからなぁ。

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2009年2月11日 (水)

変なネタ

ついでに。

100円ショップの半額セールというものを初めて見ました。す、凄い。なんという思い切りの良さ!

・・・どこかっていうと、会社の食堂にある100円ショップです。

昨日今日と一日中英語の資料とにらめっこしていたので、疲れました・・・しかも分からない内容が多くて。いちいち法規原文(EUには、EC指令という法規があって、仕事でこういうのを読まなきゃいかんことがあるんです。)を紐解かなきゃいけないので、大変です。

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不安や迷いからの脱却の仕方

最近、心理学の本を読んでいたら、こんな事が書いて有りました。
「不安や迷いを解消するには、自分の気持ちを「肯定」し、状況を「受容」することからはじめる。それは、自分らしさを見つめ直すことでもある。」・・・難しい事が色々書いてあったけど、分かりやすい(かな?)の事例で言えば、

気持ち:
(A) 根拠の有る気持ち
(B) 根拠の無い気持ち

状況:
(a) 今の状況
(b) 理想や望む状況

不安や迷いの心理とは、気持ちの重みが(A)ではなく(B)に偏っていること。(A)は自分に確証のある気持ち。(B)は自分では確証の無い気持ち。(B)を強く思うことは、いわば「架空の状態」に自分を置いてしまっていること。従って、悩んでもどうしようもないですね。

しかも、(B)は、更に不安のスパイラルに落ち込むでしょう。悪いことばかり連想し始めるというか、疑心暗鬼になる一方でしょうね。従って、(A)を強く思い続けることだけが重要なのでしょう。

自分のボウリングなんかでは、(A)今まで練習してきたことへの自信がある、というのと、(B)なんかミスしそう・・・ということかな。投げる前にミスを考えるなんて、根拠無しだよねぇ。ミスするんじゃないか、200upできないんじゃないか・・・とダメスパイラル突入・・・これでは投げる前からアカンですなぁ。

で、問題は、今の状況を「受容」するところでしょうね。

人間誰しも刹那的には生きてないし、夢や希望を持つから、どうしても(a)と(b)の状況のギャップは意識してしまうでしょう。でも、(a)は現実だけど、(b)は現実ではない。だから、気持ちが(B)で状況も(b)を思いすぎると、根拠の無い気持ちで、現実でない状況に苛まれるから、勝手に苦しむだけですよね。

まずは、今の状況(a)を丸ごと受入れ、(A)の気持ちのままでいる事-自分をその状態に置いておくことが大切だと思いました。その上で、(b)の状況になるにはどうしたら良いのか?を考え続けたり、願い続けたり・・・状態を転化することも必要でしょうね。で、自分がどう考え、どう振る舞い、何をすれば良いのかが、初めて少しずつ見えてくる気がします。不安や悩みの解消って、こういうことかな、と思う。まともに心理学やカウンセリングを勉強したこと無いから、合っているのか分からないけど。でも、自分の経験からそう思えますね。

ボウリングの上達に於ける心理も同じかな?今度投げに行ったとき、ちょっと試してみようかな・・・

人間関係なんてのも、こんな感じなのかしらん?

でもね、正直、この「今の状況を受容する」というのは、時としてとても苦しいことでもあると思う。特に、(b)が望むべくも無い、ということもあるしね・・・その時は、本当に祈るしかないけど・・・

僕は10年前、あることでとても悩んだけど、現実を受容するのに、それこそ1年、2年かかったことがある。でも、結局、その時に「なるようにしかならない」という気持ちになって、初めて吹っ切れたことがある。(この時は、結局なるようになった上に、想像していた以上の良い状況になったので、良かったけど。)

今は、「何か分からん大きなものに任せる」という心理なのかな。

振り返ってみると、10年毎にこういう状態を経験している気がする。20歳の時も30歳の時も、大きな悩みを抱えていたなぁ。50歳で何か悩むのだろうか(笑)・・・でも、時々こういう状態になるのは良いことなのかも知れないですね。10年毎に自分を見つめ直すと言う意味では。

20歳の時は、危うく三浪になりかけた時だったけど。このブログを受験生が見ているかどうか分からないけど、振り返ってみれば笑い話だから、いつかブログに書こうかな。でも、その時は本当に辛かったんだよ(笑)

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2009年2月10日 (火)

追記

ところで、ブログ読んだ方から「クリスチャンですか?」と聞かれましたが、違います。お寺は曹洞宗です。でも仏教徒というわけでもないです。永平寺には一度は行ってみたいけどね。すがれるものには何でもすがる、典型的な日本人だと思う(笑)

最近、なんだか年齢もあってか、”しんみり”した事をよく考えるけど、作る曲(稚拙だけど、現在6曲完成。目標はとりあえず10曲。単なる自己満足の世界です。趣味。)は何故か明るい感じがする。不思議だ。こういうことで精神のバランスが取れているのかしらん・・・。

早く景気が良くなって、給料カットも無くなって、ちゃんとした機材で作曲したいなぁ。作曲の勉強もしたいなぁ。音楽の勉強も一からやり直したいなぁ。いろいろやりたいことがいっぱいあるなぁ。

若いころ、もっと自分に投資して、いろいろやっときゃ良かったと思うことが一杯ですね。この歳になるとさ。

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2009年2月 9日 (月)

何もまとっていない自分

先週末、一人でホテルの部屋で寝っ転がっている時、「自分から色々なものを剥いでいったら、残るものはなんだろうか?」なんて事を考えていました。(おいおい、どのラインを攻めるかとか、そういう事を考えなきゃいかんのちゃうん?ってツッコミが入りそうだが(笑))

あのねぇ、試合が終わった後で”どんちゃん”騒ぎをしたくても、飲み過ぎ=大腸に結構くる(気がする)ので、結局早々に部屋に帰って、じっとしてるしかないからねぇ。チームのみんなもそんなに飲んべえでもないし。しかも、遅いシフトなので、朝も時間たっぷり有るから、早く寝なきゃ!という感じてもないし。ライン取りはねぇ、その場に立って見なきゃ分からないし(立ってもイマイチ分からんけど(笑))

ひとりきりで「しーん」としていると、こういう事を考えるのさ。それは、歳のせいもあるだろうね。

自分には、会社での顔、家での顔、色々な顔があります。顔というか「自分がまとっているもの」というか。こういうものを全部取り除いて、丸裸にした時、初めて自分の本当の部分が現れる様に思えるのです。まるでタマネギを剥いていくかのように。

勿論、まとっているものも、紛れもない自分です。でも、何もまとっていない部分も自分。多分、本当の自分の姿かな。自分に残っているのは、非常に子供っぽい部分だけのような気がします。しかも気が小さくて、寂しがりやで、直ぐに落ち込んだり、何かに何時も不安を感じていたり・・・・でも人間の本質ってそんなもんじゃないのかな、とも思うけど。そう思うのは僕だけかな?本当の意味での精神力の強い人というのは、こういう何もまとっていない自分の状態でも、「踏ん張れる」人なのかも知れない。

何もまとっていない状態で、初めて自分の内面を洞察することが出来ると思うし、「自分らしさ」というものが自分でも分かってくるのかな、と思えます。そして、自分がそういう状態になるもの、一種の「無意識」の自分が出せる存在が、自分にとって大切な存在・・・それは愛する人であったり、聖母であったり、大事なものであったり、人によって様々だろうけど・・・。一方で、それは自分にとって守りたい存在でもあります。あるいは「癒しの存在」と言ってもいいでしょうね。

会社の机には、ラファエロの「美しき女庭師(聖母子と幼児聖ヨハネ)」の絵を置いています。高校生の時になぜだか心打たれ、初めてフランスに出張した時、いの一番にルーブル美術館にすっ飛んでいって(おいおい、仕事はどうした?)、1時間突っ立って見た後、お土産で買ってきたものです。会社で疲れた時は、大概この絵を見てぼーっとしてます。皆さんは、そういうものは何かあるのかしらん?

さぁて、明日からまた仕事。膨大な英語の資料を読んでまとめなきゃならんなぁ。現地の人との会議も調整しなきゃならんなぁ。はぁ。ため息一つついて、気合いを入れ直す今日この頃。がんぶぁるかぁ。まっ、やりがいのある仕事でもあるしね。「法規施行期限」という、まことに”厄介”なものがなきゃ言うこと無しなんだけど。

おわり

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2009年2月 8日 (日)

実業団都市対抗選手権

2月6日(金)から、実業団都市対抗ボウリング選手権大会(川崎グランドボウル)に行ってきました。

・・・僕にとって一番苦手なレンコン!特に、奥ですーっと入りすぎて、イメージより厚めに行ってしまう。これは典型的な「割れる」パターンです。

ということで、第1シフト。
決して打てない感じではないが、案の定、ダブルが来ても肝心なところで「割れて」しまう。周りを見ても、○(スプリット)がやたらと多い。何とか粘ったものの、171, 171, 189の531で終了。「沈黙」まではいかないけど、「割れ」の神様が降りて来ちゃった。困ったな。ラッキーストライクが1本も無し。たいてい、3G投げれば何回かはあるけど、ホントに全くなし。祈りが足りない?

翌日、2階のフロアが第2シフト。色々な方から、「1階(昨日投げたとこ)より2階の方が難しい。10ピン飛ばない。」と言われ、試合前にひたすら祈る。ボウリングの女神様、頑張りますから、助けて欲しいです。

1G目。いきなりダブルスタートで調子に乗りました。しかも、ラッキーストライクもあり、チームメンバーが調子を落とす中、まずは223(僕としては上出来なのです)で、2G目突入。

・・・・神様は僕に試練をお与えになりました。

突如として、「割れの神様」が降臨。ジャスポッケで8-10が2回、7-10が1回、あと1回、覚えてないが、計4回の○(スプリット)・・・・なんと139!やってしまった・・・

要するに、ここで、一気にレンコンが変化し始めた(遅くなり始めた)んですけど。それにアジャストできないまま、厚め厚め、食い込み方の違いなのでしょうけど、スプリットになるわけです。弱点露呈、ということです。

このシフト、チームメートと昼飯かけた戦いでしたので、負けられません!(全国大会で、そういう話では無いけど(笑))。チーム皆苦労して、スコアが伸びません・・・やばいです。

3G目は、5フレまで、75・・・気落ちもあって、2回オープン(イージーミスです)。ひたすら祈ります。でも、祈りつつ、自分を信じて投げようとも思いました。アプローチに立つまでは祈る。アプローチに立つ前に、「今まで練習してきたんだ、出来るはず。」と言い聞かせる。(・・・ラインがどことか、ホントはそう言うことを考えるべきなんでしょうけど(笑))

で、6フレからターキーで、何とか持ち直し、190で終了。第2シフトは551でした。・・・あぁぁぁぁぁぁぁぁ、139が無ければ、プラスだったのにぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。チームメートとの戦いは勝ち、お昼のカツ丼はゲットです。

第3シフト。

もう、レンコン遅いです。しかし、これは先回の大会や、サンボウルで1日投げ続けた練習の成果?もあって、35-37枚目に立って、15-20枚目に出すラインで攻めます。しかし、大事な事を忘れてた。10ピンのスペアアングルを変えなきゃいけないのに・・・それを忘れたので、1G目、2G目とイージーなスペアミス連発。

しかし、なんとか181, 178, 197の556で終了。

9Gでアベ182です。・・・実力通りと言えばその通りですが。しかし、前回までの大会では、どんどんスコアを落とす状態でしたが、今回は、少しずつでもスコアを上げていけたところ(特に、遅くなった第3シフトに経験を活かせたと思うところ)が良かったと思いました。色々勉強にもなりましたし。

祈ること、笑うこと、自分を信じること・・・そして冷静にラインを読んでいくこと。ほんのチョットだけ出来た気がします。しかし、投げる前に祈っているオッサンボウラーってのも、端から見れば変だよねぇ(笑)

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2009年2月 5日 (木)

沈黙

最近、久しぶりに遠藤周作氏の「沈黙」を読みました。

この本は僕の愛読書で、数年に1回の頻度で読み返しています。ある意味では、僕の人格を形成する一部になっているのかな、と勝手に思っています。ちょっと大袈裟な言い方だけど。

不思議なのは、毎回読む度に感じ方が異なる事です。それは、その時々での自分の置かれた状況や、ものの見方、感じ方が違うからでしょうね。この本の書評は書かないでおきます。人の書評なんて、結局その人の感じ方次第だからね。

しかしながら、この本を読む度に、僕は「人間が切なく、辛くなる時って、どんな時?」という事をいつも思ってしまうのです。例えば、人間関係において、「沈黙」というのは、耐えがたき状態なのだろうな、と思います。

これは、単に「黙っている」という文字通りの状態を意味するだけでなく、「相手が自分の存在を感じていないのかも知れない」と、自分の中で不安の気持ちが起こった時もそうでしょうね。僕はこれも一種の沈黙だと思っている。

また、自分と相手の世界に、超えられない何かの境界があることを感じる、例えば、「見えるのに届かない」「一緒にいるのに遠い」「感じるのに見えない」という様な感覚が有った時に、なぜかしら言い様の無い切ない気持ちを感じるのでしょう。

人間は、ひとりひとりは異なる存在なので、超えることが出来ない領域は有るもの。でも、出来るなら同じ世界にいて、同じ場所に立っていたい・・・。だからこそ、人間は、言葉を交わし気持ちを伝え合うのでしょうか。そして、境界を越えて、何かを共有しようとするのでしょう。

笑顔を見せるだけでも沈黙の世界から抜け出せるのでしょうね。自分にとって大切な存在に対して微笑むこと・・・微笑まれること・・・大事な事ですね。

この本は、一度読んでみたら、その後に遠藤周作氏のエッセイを幾つか読んでみて、また読み返すのがお勧めだと思います。

さぁ、今日から、川崎グランドボウルで、実業団都市対抗ボウリング選手権大会です。自分が沈黙するようなスコア(笑)にならないよう、頑張ろう!

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2009年2月 3日 (火)

花を植えました

月曜日に、天に召されたべっちゃんのお墓に花を植えました。

うちは、ネコが亡くなる度に、庭に花壇ができます。まだ蕾ですが、春には綺麗な花が咲くでしょう。

最近、やけに涙もろくていけません。

べっちゃんが亡くなった時はともかく、庭の栗の木を見ても涙ぐんでしまう。

以前、庭師の方に「栗の葉っぱは、冬でも枯れたまま枝にくっついているけど、何でですか?」と聞いた事があります。庭師のおっちゃんは、「栗は、新しい芽が出てきて、それで古い葉っぱが自然に落ちるから、枯れていても取ってはだめなんだよ」と言われました。(注:ホントかどうか知りませんけど。)

最近、朝、歯を磨きながら庭の栗の木を見ると、それを思い出してふと涙ぐんでいる自分がいます。新しいものが出てくることで古いものが役割を終えて落ちていく・・・なんだか世の中の有り様と同じじゃぁないですか。そう思うと、何故か感傷的になってしまって。

そんなことを、会社で昼飯食いながら同僚に話したら、「おまえ、大丈夫か?一度医者に行った方がいいぞ」だと。

フンだ、だいじょうぶさ。ものの哀れを解せん奴らだ。それに、へこんでいても、それに吸い込まれない位の「もう一人の自分」はまだいますからね。

ねこおやじが本当にヤバイ時は、ネコに1時間話しかけている時です。これはヤバイです。しかし、今はぺーちゃんに話しかけようにも、「みゃーぁおわおー(餌はまだか?)」と鳴かれっぱなしになるので、話しかけようにも聞いてくれません。昔飼っていたリリィちゃんは、じっと目を見て聞いてくれて、最後は肩にぴょんと乗ってきて、「ゴロゴロ(まぁ、気を落とさずに)」と慰めてくれたんですが。

最近は、「微笑んで、祈っていれば、何かがなんとかしてくれる」と思っています。そう言ったら、「微笑んでいるつもりでも、端から見ればニヤけてる様にしか見えない」だと。失礼だなぁ。でもそうかも知れないね。危ない人に思われるのも癪だから、普通にしてよっと。

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2009年2月 1日 (日)

補足

・・・誤解されるとまずいので、一言補足。

家の問題では無いですよ。ご心配頂いた方、ご安心下さい。(無理ないか・・・)

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考えたこと

今日は、昨日天に召されたべっちゃんのお墓を庭に作り、埋葬した。
そして、お墓の前で、線香をあげながら、色々な事を長いこと考えていた。

ほんの数年前までは、人間、「不惑」を迎えたら、色々なことに迷わず心穏やかに自信を持って生きていける様になるものと思っていた。しかし、実際に自分が不惑を迎えて以降、今まで思ってもみなかった様な色々な事に、悩み、迷い、妄想に苦しみ、不安に嘖まれる様になった。

人を傷つけない様に、自分が傷つかない様にしているつもりでも、結局最後には、人を傷つけてしまい、それ故に自分も苦しんでしまう。
人の役に立つように生きていきたいと思っていたが、それは単なる偽善であり自己満足でしかないのではと思いはじめ、悩んでしまう。
相手の気持ちを思って振る舞いたいと思っていても、結局相手の事など想像すら出来ない自分が嫌になる。

こういう経験を積み重ねていくうちに、何気なく自然に生きていくことが、簡単そうにみえて、実は難しい事なのかも知れないと思うようになってきた。

しかし、一方で、少しずつではあるが、こういう事にも、何か意味があるのかも知れない、と思えるようにもなった。未だそれが何かは分からないが、いつか人生を振り返ってみた時に、きっと無駄ではなかったと思えるのかもしれない。
そう思うことで、自分が起こした事、自分に降りかかった事を、あるがままの状態でそのまま受け止める気持ちを少し持てるようになってきた気がする。勿論、心が痛み、胸が押しつぶされる感じは決して無くならないが。

最近、とあることでずっと悩み、苦しんでいた。

不思議なことに、その時から、べっちゃんは急激に体調を崩しはじめた。
そして、僕が抱えてしまった苦しみに、ほんの少しではあるが光が差した昨日、べっちゃんは静かに天に召された。
僕は、僕の苦しみを、べっちゃんが代わりに抱えてくれて、天国に持っていってくれたような気がしてならない。そんな気がしてならない。勿論、僕のせいで辛い思いをしている人は未だその中にいるだろう。僕自身も、苦しみから解放されたわけじゃない。

人でもネコでも物でも何でもそうだが、自分の人生にとって大切なものを失った時、或いは失いかねない時、どうしようもない悲しみや辛さや切なさを感じる。僕が今できることといえば、ただ祈るしかない。どれだけ時間がかかろうが、ひたすら祈り続けることしか出来ない。

そして、苦しみが消え去り、元の普通の生活に戻れるとしても、苦しみが残ったまま、大切なものを失い、みじめに終わるとしても、人間の辛さを決して忘れないようにする事が大事だと、改めて思う。そして、当たり前の言い方だが、僕の人生にとって大切なものを、本当に大事にしたい。どのようにすればいいのかは分からないけど、優しくすることだけがいいわけではないけど、今思っているのは、自分にとって大切なものに対して、最後は心の底から「祈れる」かどうかなのかも知れない。

僕は、今、心から「祈る」ことが、こんなに辛く切なく苦しいことだということを、初めて感じている。

おわり

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